YOSHIKI YOKOYAMA

EXHIBITION

遠くの木と、近くの山と。

2026/06/20 - 28

遠くの木と、近くの山と。

sowcue.

今回「30」というテーマを与えられたとき最初に浮かんだのは一本の木だった 木には年輪があるように人にも積み重ねた時間がある三十年という時間を生きてきた自分はどんな年輪を描いているのだろう そんなことを考えながら山へ向かい木を撮り始めた けれど撮れば撮るほど気になったのは木そのものではなく自分がどんな木に目を向けているのかということだった 気づけば近くにある木ではなく遠くに見える木ばかりを見ていた 一本一本の輪郭までははっきりと見えない それでもその向こうに何かがあるような気がして視線を向けてしまう 理想の断片であり 憧れであり不安であり自分に欠けている何かかもしれない それはゴールではなく探し続けることそのもののように思えた 一方で山はいつも近くにあった 家族や友人 出会いと別れこれまで支えてくれた人たち 今の自分を形づくっているものは振り返ればいつも身近な場所にあった けれど近くにありすぎるものは輪郭を失う 見えなくなったのではなく見えているはずなのに気づけなくなる 遠くの木は見えない 近くの山は見えている それでも時々その大きさを忘れてしまう それでも 今ここにいるこの事実は変わらない 三十年という時間は決して一人では積み重ならなかった だからこそ 今ここにいることは当たり前ではないのだと思う 三十年という時間を振り返ろうとして山へ向かったはずが見えてきたのは答えではなく問いだった 自分は何を見ていて何を見落としているのだろう 遠くの木を見ながら、近くの山のことを考える。 *Ⅲ/Three sowcue.を会場に3人の写真家によるグループ展に参加。

ANCHOR

ANCHOR

気がつけば、毎日のように掌の上で写真たちが泳いでいる 指先でなぞるだけで現れては消えていく顔や食べ物旅先の景色 軽やかに水面を跳ねる小魚のように画面の中ではしゃぎながらもどこか必死にもがいているように見える それらは「残る」ためではなく、ただ「見られる」ために生まれた像なのだろう 本当に大切なものは短い視線に晒されるのではなく心の奥に静かに沈み必要なときにだけ立ち上がる 写真は流れるためにあるのではなく沈殿するためにある その確かさを思い出すことがいま必要なのだろう *ANCHOR 錨。船を海底に固定して水上の一箇所に留めるためのおもりで、鎖やロープにつながれている。 日本語で「錨(いかり)」を意味し、そこから「頼みの綱」や「リレーの最終走者」など人を安定させたり、最終的に役割を担ったりする意味で使われる。 Art Direction by Era Creative Design inc. Design by  ISHIDA, Tsukasa

暮らしに借景を

2025/05/31 - 06/01

暮らしに借景を

ARCHITRIP OPEN HOUSE and PHOTO EXHIBITION.

本展は、「借景」という日本独自の美意識を手がかりに写真と暮らしのあいだにある静かな関係性を見つめ直す試みである。 私は日頃、Hasselbladという中判フィルムカメラで風景を撮影している。 スクエアフォーマットのファインダーを覗き込むたび、そこに立ち上がるのは小さな窓を通して世界をそっと覗き見るような感覚である。 光や空気、時間の層がその中に静かに浮かび上がり、現実と夢のあわいのような風景が姿を現す。 その感覚は「借景」という言葉が本来持つ、外の風景を内に招き入れる思想と深く呼応している。 展示の会場は、アーキトリップ代表桑名氏が自らの手でリノベーションした住まいである。 そこには建築としての美しさに加え、暮らしの営みが日々息づいている。 家具や器、本棚や照明など、ひとつひとつに生活の気配が宿る空間の中で写真を眺める時間は親密であたたかなものとなるだろう。 この家の周囲には一面に桃畑が広がり、遠くには山々の稜線が連なっている。 春には薄紅の花が咲き、季節とともに風景はゆっくりと表情を変えていく。 大きな窓からは、そうした移ろいが暮らしの中にすっと差し込んでくる。 ここでは「借景」という言葉が抽象ではなく、ごく身近な感覚として日常に息づいているのだ。 本展ではその「借景」の精神を、写真というかたちで住まいの中に取り入れ風景が暮らしに寄り添う在り方を提示している。 写真は単なる装飾ではなく、もうひとつの窓としてあるいは静かに語りかける風のように、見る者の心に作用する。 旅先で出会った光景や、ふと立ち止まった先にあった静謐な瞬間それらを“額”というフレームに収め、住まいの中に据えることで私たちの日常はささやかに、しかし確かに変化を始めるー。

2022.

2023/12/23 - 30

2022.

slow snow coffee

コロナもようやく落ち着きを見せたその年の初めに「365日毎日写真を撮る」という自分ルールを決めた。 365日毎日写真を撮り続けることで自分にとっての写真とは一体なんなのかを何度も考えさせられた。 何も撮りたくないと感じる日もあったし自然とカメラを構えてしまう瞬間もあった。 普段なら気にも留めないようなことに目を向けては立ち止まり、シャッターを切った。 ただひたすら毎日カメラを向けてはシャッターを切り、その日その瞬間、自分の見た景色が「写真」として過去になる。 写真は過去のものと解っていたようで、解ったつもりになっていただけなのかもしれない。 昨日撮ったあの景色を、今日また見たいと思っても見れるとは限らない。 写真に写るあの人も、実際はもうこの世にいないかもしれない。 それでも写真の中では生き続ける。 全てその瞬間、その場所に自分がいなければ出会うことの無い 見ることのできない、感じることのできない瞬間なのだ。 *同テーマのZINEを制作(限定50部)。会期中に完売。

roadside flowers.

2022/12/05 - 11

roadside flowers.

SHOZO SHIRAKAWA

身近にいた人を突然亡くしたことがきっかけで私の撮る写真、 というより私を通して見える景色が大きく変わった。 これまで「人はいつ死ぬかわからない」と頭では解っているつもりでいた。 いざ自分がその瞬間に直面した時、今まで到底感じたことのないような感情を抱き、 痼のようにしばらくの間自分の心の中に残り続けた。 いつか必ず終わりが訪れる。 種が芽吹き、花を咲かせ、いつか枯れるように。 人間も等しい時間の中に産まれ、生き、死という最期を迎える。 どうやっても抗えないこの現実に生きる意味を探すように これからもシャッターを切り続けるだろう。 新型コロナウイルスの流行で何処かへ行く機会が減り、 身の回りの景色を撮るようになったのはごく自然のことだと今になって感じる。 自分の日常は、誰かにとっては非日常であるということ。 自分にとっての普通は、誰かにとっての特別であること。 道端に咲く花たちに自分の姿を重ね、今を生きる。 *同テーマのZINEを制作(限定50部)。会期中に完売。

nami

2022/05/16 - 29

nami

喫茶店 粒

自身初めてとなる写真展。 2022年9月 郡山市安積町にあったカフェの2階ギャラリーで開催した。 それまで物置として使われていた空間をリノベーションし、新たなギャラリーとして生まれ変わるタイミングで、最初の展示として声を掛けていただいた。 展示という行為そのものが初めてで、右も左も分からないまま手探りで準備を進めたことを今でもよく覚えている。 それでも多くの方が足を運んでくださり、この展示をきっかけに出会い、今でも交流が続いている人もいる。 写真を「見る人に届ける」ということのたのしさを知った、自分にとっての原点となる展示。